2019年8月30日付で、ひろゆき氏が間違ったMMT批判記事を書き、一部で話題になりました。
今までスルーしていたのですが、読んでみると耳にタコができそうなほどのテンプレな間違いだらけ。
そこで、ひろゆき氏の記事をモデルケースとして、世間にはびこる間違ったMMT批判の解説をしてみます。
尚、今回話題にするのは、エキサイトニュースの以下の記事です。
▼タイトル
【ひろゆき】MMT信者を応援して、無税国家をつくろう。
▼日時
2019年8月30日 17:43
ひろゆき氏の記事からMMT批判の論点を抽出する
まずは、ひろゆき氏の記事から論点を抽出しましょう。
- MMTでは国家がいくらお金をバラまいても国家が破たんしないの?
- MMTでは税金取るのは辞めちゃっていいの?
- 日本国民全員に生活保護で毎月30万円とか払っても破たんしないの?
1についてはひろゆき氏は論点ではなく、前提として認識しているフシがありますが、ひろゆき氏だけでなく多くの方が誤解している論点がこれです。
ここでひっかかると、その先に進むのは難しくなります。
まずは、そこを説明してから2、3の論点に進んで行きましょう。
MMTでは国家がいくらお金をバラまいても国家が破たんしないの?
この議論をする前に、前提と破たんの定義を決める必要があります。
MMTの主張はこうです。
「自国通貨建てのみで国債を発行し、かつ変動相場制である場合、政府支出の限界は財政収支ではなくその国の供給能力に規定される」
国家全体としての供給能力に規定されるのは、その国の供給能力を大きく超えた支出をした場合、大きなインフレが発生するからです。
これは、言い換えるとインフレ率が政府支出の上限を決めるということです。
これは、米国の経済学者であるラーナーが提唱した機能的財政論です。
政府の収支バランスではなく、国の経済状態を基準にして政府の支出を決めることで、自国経済の健全性を保つわけです。
国は通貨発行権を持っているのですから、財政的には赤字を気にする必要はありません。
また、変動相場制であることは、あたり前過ぎるため通常省略されますが、これは暗黙の条件です。
なぜなら、固定相場制(多くの場合、ドルと固定するドルペッグ)の場合、通貨発行の自由が実質的にないため、独立した自国通貨とは見做せないためです。
つまり、前提条件はこうなります。
▼前提条件
自国通貨建てのみで国債を発行し、かつ変動相場制である場合
自国通貨建て以外の国債を発行していたり、ドルペッグ制などの固定為替制を余儀なくされている場合は除きます。
また、これらの事から供給能力が極端にアンバランスであるか、極めて低い国も自動的に除かれます。
なぜなら、これらの国は海外からの輸入に大幅に依存するため、為替を固定しないと経済を破壊するほどのインフレが発生する可能性が高く、多くの場合ドルペッグ制などの固定為替制にならざるを得ないからです。
次に、破たんの定義をしましょう。
破たんの定義は、普通2つ考えられます。
▼破たんの定義
- デフォルト(国債の返済不能)
- ハイパーインフレ(年率1万3千パーセント以上のインフレ)
ハイパーインフレの定義は米経済学者フィリップ・ケーガンの定義を採用しました。
まず、自国通貨建ての国債のデフォルトについてですが、これはMMTであろうとなかろうと多くの経済学者はあり得ないと答えます。
なぜなら、通貨発行権を持つ国は、国債を返済するために通貨を発行することができるからです。
また、財務省も同様の主張をしています。(「ムーディーズ宛返信大要」参照)
また、ハイパーインフレについてですが、MMTではインフレ率が政府支出の上限を決めるのですから、ハイパーインフレの遥か前に過度な政府支出は抑えられます。
したがって、MMTに従うなら、ハイパーインフレにはなり得ません。
MMTでは税金取るのは辞めちゃっていいの?
結論から言うと、ダメです。
MMTにおいて、その理由は3つあります。
- 税金はその自国通貨の使用を強制する力の一つ
- 財政支出が自国の供給能力を大きく上回る
- 景気のビルトインスタビライザー(自動安定装置が無くなる)
まず、MMTにおいては、自国通貨の使用を強制する力の源泉の一つが税金です。
率直に言うと、これをスッキリと理解するには時間がかかります。
僕自身、理解に苦しみ、ステファニー・ケルトン教授の講義を受けてから腑に落ちるまでにもけっこうな時間がかかりました。
なので、初めてこの理屈に触れる方は「そんなものなんだ」と言う風にスルーしちゃっても良いです。
2番目はすでに説明しましたね。
税金が無くなると、民間のお金が増えるので民間需要(支出)が増えますし、政府の支出も減らす訳にはいきません。
すると、極めて高い確率で、需要(支出)が国内の供給能力を大きく越えます。
MMTの規定している上限を政府支出が越えてしまうため、政府は支出を大幅に減らす必要があるため、政府は公共サービスを提供出来ず、国が崩壊してしまいます。
3番目のビルトインスタビライザー(自動安定装置)と言うのは、所得税、法人税などの累進課税を念頭に言っています。
つまり、景気が過熱してインフレ気味になったとき、国民の所得が増えるのに伴って税収が増え、景気が後退しデフレ気味になったとき、国民の所得が減るのに伴って税収が減ります。
これにより、インフレ気味の時は、税金により過剰な需要を国が吸い上げ、デフレの時は税金が減ることで民間の需要を上げると言う、自動的な仕組みが構成されるわけです。
そのようなわけで、MMTにとっては税金の徴収は絶対に必要なこととなります。
日本国民全員に生活保護で毎月30万円とか払っても破たんしないの?
ここまでの議論で、日本の場合、自国通貨建てのデフォルトは発生しない事はすでに説明したので、ここでの破たんはハイパーインフレと定義しましょう。
MMTの立場としての結論は、おそらくこうなるでしょう。
ハイパーインフレが発生するかしないかはこの情報だけでは不明だが、効果的な政策とも適切な政策とも言えない。
MMTでは、過度の金融政策をあまり好みません。
例えば、政府がモノを購入したり工事を発注した場合、そこには確実に生産活動が発生します。
そして、その生産活動はGDPの一部になります。
ですが、日銀が銀行から国債を買って、銀行が安い金利でたくさん貸出せるようにした場合、それが確実に生還活動につながるわけではありません。。
企業が「お金を借りて設備投資をするぞ!」と言ったり、
労働者が「お金を借りてクルマを買うぞ!」と言わないと、
生産活動につながる投資や消費につながらないのです。
言い方を買えると、お金を借りて設備投資や消費をする人が増えなければ、金融緩和の効果はでないということです。
同じことが、生活保護やベーシックインカムにも言えます。
お金は貯める事ができるのです。(有価証券で保有するのも同様)
なので、お金をばら撒いたからと言って、その分経済が活性化する保証はありません。
一方で、お金をもらった人が予測以上にどんどん使い、効果があり過ぎたら経済が過熱しすぎてしまいます。
そのため、MMTではベーシックインカムではなくJGP(ジョブ・ギャランティー・プログラム)を提唱します。
失業者は政府が雇用する仕組みです。
この仕組みであれば、政府の支出が直接生産活動につながります。
MMTの本質は中央銀行を含む銀行業務の実務と貨幣の本質から導かれた実務志向の貨幣論
現在の主流派経済学では机上の理論を強引に実務に適用して悲劇を起こしている印象がありますが、MMTでは逆に実務や実際の現象から貨幣や経済の本質を導き出しているように思います。
なので、世の中で思われているほど単純な理論ではありません。
適当な記事を読んだ程度で理解できるシロモノではありませんし、大新聞社を含む大抵の記事はMMTを理解していない方が書いているようにお見受けします。
もし、興味がありましたら、僕が以前に書いた別の記事も読んでみて下さい。
ご参考になれば、幸甚です。
▼MMTの提唱者、ステファニー・ケルトン教授の講義を聴いてきました
▼MMTの提唱者、ケルトン教授の記者会見のインタビューがわかるプチ解説
また、今後需要がありましたら、MMTを理解するためのおすすめ本なども紹介していこうと思います。
コメント
徴税には富の偏りを調整する機能もありますね。
現在のわが国では消費税制が格差拡大に拍車をかけているようですが。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、徴税には富の再分配機能もございます。
ただ、それは政策立案者が決める事であって、MMTの枠組みで決定する事では無いとの認識で敢えて除外しました。
それを言い出すと、MMTがベーシックインカムを肯定していない事の論証にならないからです。
しかしながら、税制上の観点として、消費税率引き上げによる格差拡大、おっしゃる通りです。
消費税は税収の硬直性があるので、景気が良ければ金持ちは事業投資などにお金を使うように思います。(おそらく、そう言う思考回路だから金持ちになる)
なので、やはり税金をかけるなら消費税ではなく累進性のある所得税と法人税ではないかと思う次第です。
勿論、積極財政をした上で。
麻生さんがこの件に関してキッパリNOと言ってます。MMTは所詮、理論の域を出ません。
麻生さん曰く「日本を実験場にする気はない」とのこと。
国家の責任者は失敗は許されない。一方で理論を語る人たちはなんの責任も負っていない。
そもそもの話、金融は経済の血流ではあるけれども、結局のところは一人ひとりの働きが互いの生活を支えあってこその社会。
打ちでの小槌なんてものは幻想です。
現在、療養中で遅れましたが、典型的な誤解と言うテーマでは有用なコメントなので、承認→返信をさせて頂きました。
以下、私見にて回答を書かせて頂きます。
> MMTは所詮、理論の域を出ません。
MMTはケインズの流れを汲みますが、その中でもむしろ実務内容の理論化と実践に基づく理論と考えられます。
実務内容の理論化に関しては今回は割愛し、実例について書いてみます。
実例としては、日本では1980年代までの日本では、普通にMMTの主張するケインズ政策が取られていました。
日本の高度経済成長はケインズ政策によってもたらされたと言っても過言ではないでしょう。
池田内閣の所得倍増計画なんかもケインズ政策。
ニューディール政策もケインズ政策。
いずれも政府の赤字により経済を発展させました。
この政策下で、オイルショックによる悪性インフレも発生しましたが、これはコストプッシュ型インフレで放漫財政が原因ではありません。
幸いな事に、比較的短期間で収束しましたが、これはいわゆるスタグフレーションの一種で、当時はケインズ政策は未熟と言うか、正確に理解していた人が少なかったため、ケインズ政策ではこれに対処できないとの烙印を押されました。
当時の未熟な(または正確に理解されていない)ケインズ政策では、インフレが進めば失業率が下がると言う、いわゆるフィリップス曲線を念頭に政策が決定されていたのですが、コストプッシュ型のインフレではインフレ進行と同時に失業率も増加します。
この状態では、単純な財政縮小では失業率が拡大し、単純な財政拡大では悪性インフレが進行します。
ここでMMT的に考えれば、一つの解がでます。
例えば、財政を縮小する一方で、国内の原油輸入業者に補助金を出し、国内の実質的な原油調達コストを安定させるなどの政策です。
ところが、当時の未熟な(または正確に理解されていない)ケインズ政策では、この解が出せませんでした。
そこで台頭したのが、ミルトン・フリードマンを筆頭とするマネタリスト、新自由主義の経済学です。
そして、インフレ抑制にはこの新自由主義=現在の主流派経済学は機能しました。
しかし、バブル崩壊やデフレ対策、近隣窮乏政策の行き詰まりに対しては解決能力はまったくありませんでした。
> 麻生さん曰く「日本を実験場にする気はない」とのこと。
先ほどの続きを書きますが、新自由主義=現在の主流派経済学の実験場にされたのがEUです。
経済学派を問わずに同意される説として、国際金融のトリレンマと言うものがあります。
「自由な資本移動」、「固定相場制」、「独立した金融政策」の三つは同時に成立しないというものです。
EUは、域内の「自由な資本移動」を認め、共通通貨により事実上の「固定相場制」となっております。
そのため、EUの加盟国には通貨発行を含む「独立した金融政策」は認められていません。
EUの制度としても、プライマリーバランスの厳守をほぼ強制されます。
これにより、経済成長するためには貿易黒字により外貨を獲得する以外の道を仕組み上閉ざされました。
その結果、当初はドイツがEUの他の国に対して輸出過多になりドイツの一人勝ちの状態になりました。
その後、EUのドイツ以外の加盟国も経済的な疲弊により需要が減り、ドイツは中国に対する輸出で経済成長を続けました。
ただ、日本ほどしゃくし定規にプライマリーバランスを共用しているわけじゃないので、経済成長の低迷も日本ほどひどくないのは皮肉です。
一方、日本では、1990年代のバブル崩壊から新自由主義=現在の主流派経済学の実験場化が開始されました。
緊縮財政、規制緩和、構造改革路線の始まりです。
たちが悪いのは、日本の場合は、純粋な実験場と言うよりは、それにより利益を得る人たちが、この欧米からの輸入思想(=新自由主義)を使って金儲けを始めたことです。
国鉄の分割民営化を初めとする構造改革も金持ちが儲けらるようにできています。
国鉄の赤字を解消するために分割民営化する理由って何でしょう?
経営効率を上げるために民営化?
なら、なぜ分割するんですか?
分割するとどうなりますか?
採算が良い地域と、採算が悪い地域にわかれますよね?
民営化=投資家に売るってことなので、投資家の事を考えたら採算の良い地域だけを買えるよう分割した方が良いですよね。
逆に、民間活力で経営効率を良くするって言うのなら、分割して不採算地域だけを民営化すればどうかと言う話ですが、投資家が儲けると言う点から言うとこれはあり得ない。
また、デフレが続くと地域に密着した中小企業経営が苦しくなり、低価格での企業買収がやりやすくなる。
公務員を減らして、専門性の高い公共事業を民間に外注すると、一度食いついた民間企業は独占状態になれる。
デフレを利用して儲けようとする企業にとっては、安い人件費により使い捨ての企業で儲ける事が容易になる。
と、この状況で儲けようと思う人にとっては良い事づくめなので、わかっていてもやめられない。
こんな感じで、私は1990年代以降の日本を見てきました。
> 国家の責任者は失敗は許されない。一方で理論を語る人たちはなんの責任も負っていない。
私は以前、経済の予測にミスが許されない状況でアドバイザー的な仕事をする中で、新自由主義の経済学では予測が狂うため、この理論は捨てざるを得ませんでした。
7年くらい前からMMT的な貨幣観と理論を採用する事で、予測が正確になり、過去の出来事もすべて説明できるようになりました。
その視点で言うと、少なくとも私の目から見ると、ここ30年の日本の経済政策は失敗し続けているか、意図的に日本を衰退させているように見えます。
> そもそもの話、金融は経済の血流ではあるけれども、結局のところは一人ひとりの働きが互いの生活を支えあってこその社会。
おっしゃる通りです。
MMTの主眼は「金融政策のみで経済をコントロールするんじゃなくて(そもそもできない)、国民に仕事を与えよう!」と言う事です。
これは私見ですが、米国で発達したMMTには、米国の原状の金融政策のカウンターと見ています。
米国では、FRBの使命の一つとして雇用の安定が挙げられており、雇用の安定は金融政策で行うと言う空気があります。
MMTの主要概念の一つに、ジョブギャランティープログラム(JGP)と言うものがあり、失業率が増大した場合、政府が失業した人を雇用すると言うものです。
これについては、現実的にどこまでできるかはわかりませんし、日本で同じ仕組みが必要かはわかりません。
そのため、この理論の有効性については、私には判定不能です。
ただ、MMTの基本的な考え方としては、FRBの金融政策から政府による雇用の創出による経済と生活の安定を標榜していることは、この事でわかります。
> 打ちでの小槌なんてものは幻想です。
おっしゃる通りです。
例えば、デフレだからと言ってお金をただばら撒くだけなら、国民の生活も経済も衰退するでしょう。
MMTには、新自由主義(=現在の主流派経済学)のような理論的かつ数値的な解はありません。
経済政策を決める時に機械的に金融緩和とか財政拡大とか言う事を言いません。
MMTでは、政策を決める際は個々の産業の人材、設備、環境、将来などを考慮した上で、どうお金を使えば豊かになるかを決める必要があります。
それをステファニー・ケルトン教授は「個々のリソースの状況を詳細に調べて…」と表現しました。
リソースと言うのは、結構幅の広い意味を持つので、一言では日本語に訳せませんでしたが。
ただ、国民を豊かにする事であれば、【財政的な】制約は無いと言っているのがMMTです。
当然ながら、極端なインフレを起こす=国の供給能力を大幅に超えた財政支出をすることはできず、これがMMTにおける政府支出の制約になります。
これを機能的財政論と言い、MMTの主張を言い換えると、政府支出に[財政的な]制約はないが、【機能的な】制約はあると言う事です。
さらに要約すると、MMTの隠れたメッセージは「国民を豊かにする良い政治をする事は政治家にお任せします」と言う事。
つまり、MMTを採用すると経済学者の裁量は減り、政治家の裁量が増え、政治家の質が問われます。
良い政治家を選出し、子孫のために自国の未来を豊かにしてバトンタッチする自覚が国民に無いと、確かに逆効果になる可能性はありますね。